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成田高等学校 歴史と沿革
         
  明治20年10月3日 成田山山主三池照鳳大僧正により、本校の前身である修業年限3ヵ年の成田英漢義塾が創立される。  
   
  明治21年1月 教員数2人、塾生数58人と町に届ける。  
   
  明治22年12月 宮村三多塾長、衆議院選挙準備のため職を辞して故郷へ帰る。  
   
  明治23年1月 浜田義雄、塾長となる。  
   
  明治23年3月 第1回卒業生を出す(3人)。  
   
  明治24年12月 福山亀太郎、塾長となる。  
   
  明治25年3月 塾生の減少により、郡役所、町村役場などに勧誘書を発送する。  
   
  明治25年12月 和田玉一、塾長となる。  
   
  明治26年 廃塾のうわさが出たため、塾友総代の三橋金太郎ら独立建議書を出して塾の存続を願う。  
   
  明治27年12月 雑誌「成田志林」に塾生の臨時募集広告を出す。学資3円。  
   
  明治29年2月 教員数6人。塾生数84人、1か月経費2520円、1か年授業料513円と町に届ける。  
   
  明治29年6月 石井照勤貫首、塾生継承届を兵藤県知事に提出する。  
   
  明治29年7月 和田玉一塾長、尋常中学校に関する調査のため上京する。  
   
  明治29年11月 「ベース・ボール」を始める。  
   
  明治30年3月 尋常中学校設立に関する取り調べのため阿部浩県知事来塾する。  
   
  明治30年5月 尋常中学校設立に関する取り調べのため柏田盛文県知事来塾する。  
   
  明治30年7月 塾舎を字入谷津に移転する工事に着手する。県立尋常中学校への移管について県から照会がある。  
   
  明治30年8月 県立尋常中学校への移管について同意できない旨を回答する。  
   
  明治30年9月 塾生数110人と郡役所に届ける。  
   
  明治31年10月7日 成田山山主石川照勤大僧正は英漢義塾を閉塾し、新たに修業年限5ヵ年の旧制私立成田中学校の設置許可を受ける。この日をもって本校の創立記念日と定める  
   
  明治31年11月 授業料が月額70銭から90銭となる。和田塾長、初代校長となる。  
   
  明治31年12月 喜田貞吉、校長となる。  
   
  明治32年3月 生徒定員250人と県に届ける。  
   
  明治32年4月 石川照勤校主、校長を兼ねる。関口長一郎、校長事務代理となる。  
   
  明治32年8月 竹内楠三、校長となる。  
   
  明治33年3月 徴兵猶予の申請が認可される。  
   
  明治33年4月 校旗ができる。  
   
  明治33年6月 開校式ならびに新校舎の落成式を行う。  
   
  明治34年7月 石川照勤校主、再び校長を兼ねる。  
   
  明治35年4月 校友会規則ができる。  
   
  明治36年3月 第2回卒業式に板垣退助が来賓として出席する。  
   
  明治36年4月 粟根鉄蔵、再び校長事務代理となる。  
   
  明治37年1月 校友会雑誌第1号を発刊する。  
   
  明治37年3月 卒業記念として桜を植える。  
   
  明治37年11月 後藤新平台湾民政局長ら来校する。  
   
  明治38年2月 全校生徒、成田山公園付近で大雪合戦」を行う。  
   
  明治38年8月 同窓会の本部を事務室に置く。  
   
  明治39年9月 化学室の増築ができる。  
   
  明治40年6月 成田図書館の書庫落成式に職員招待される。  
   
  明治41年2月21日 修業年限3ヵ年の私立成田山女学校が創立される。  
   
  明治41年9月 葛原運次郎、校務主監となる。  
   
  明治41年10月 鈴木三重吉、赴任する。  
   
  明治42年10月 東門を設ける。校地内に桜を植える  
   
  明治42年11月 青木健作、赴任する。校庭の土手に松を植える。  
   
  明治43年1月 私立成田中学校一覧を発刊する。  
   
  明治43年10月 成田山女学校の生徒数64人、創立費総額2163円73銭5厘、最近1か年経費総額3004円45銭と町に届ける。  
   
  明治44年2月13日 成田山女学校を閉校し、修業年限4ヵ年の私立成田高等女学校として設置認可を受ける。  
   
  明治44年3月 高等女学校の校則を制定する。成田山女学校、卒業生を出す。  
   
  明治44年4月 鈴木三重吉、退職する。中島喜一、高等女学校の校務主監となる。  
   
  大正元年2月 武道場の道場開きを行う。  
   
  大正元年3月 高等女学校、第1回卒業生を出す。  
   
  大正元年11月 高等女学校の講堂兼雨天体操場、理科教室ができる。  
   
  大正2年8月 佐竹元二、校務主監となる。  
   
  大正2年10月 5年生の修学旅行が関西方面となる。  
   
  大正3年10月 生徒定員が270人となる。  
   
  大正4年2月 南極探検隊長白瀬中尉が講演をする。  
   
  大正4年6月 生徒控場を改築する。  
   
  大正4年11月 犬養毅の額が届く。  
   
  大正5年3月 佐藤礼伝、校務主監となる。  
   
  大正6年2月 高等女学校の校友会誌第1号を発刊する。  
   
  大正6年11月 中村安之助、高等女学校の校務主監となる。  
   
  大正7年4月 高等女学校の同窓会ができる。  
   
  大正8年3月 第18回卒業生が校歌を贈る。  
   
  大正8年12月 矢野太郎、高等女学校の校務主監となる。  
   
  大正9年10月 名川彦作、校務主監となる。  
   
  大正9年11月 講道館の三船久蔵6段が講演をする。  
   
  大正10年4月 中学校の生徒数281人、高等女学校の生徒数183人。  
   
  大正12年4月 高等女学校の生徒定員200人となる。  
   
  大正12年9月 関東大震災により4日から10日まで休みとする。職員生徒、成田駅で避難民の世話をする。  
   
  大正13年1月 笹川種郎、中学校・高騰女学校の校長となる。  
   
  大正13年2月 荒木照定貫主、中学校の校主・名誉校長、高等女学校の校主となる。  
   
  大正13年5月 佐藤国二、高等女学校の校務主監となる。  
   
  大正13年10月 清水友次郎、校務主監となる。  
   
  大正14年4月 笹川種郎、高等女学校の顧問となる。高等女学校の制服を決める。  
   
  昭和元年4月 中山義秀、中野好夫赴任する。  
   
  昭和元年11月 武道場の増築ができる。  
   
  昭和元年12月 中野好夫、退職する。  
   
  昭和2年3月 荒木照定高等女学校校主、名誉校長を兼ねる。  
   
  昭和2年4月 生徒定員450人(この年は350人)となる。  
   
  昭和2年10月 講堂・理科教室ができる。  
   
  昭和2年11月 高等女学校の運動奨励のため、荒木照定校主兼名誉校長より優勝旗が贈られる(校旗として使用される)。  
   
  昭和3年5月 増田栄、校長となる。  
   
  昭和4年5月 学校新聞「成丘タイムス」第1号を発行する。  
   
  昭和5年9月 全校自治会を停止する。  
   
  昭和6年10月 満州事変に際し、慰問袋350個を陸軍大臣あてに送る。  
   
  昭和7年10月 創立35周年記念行事を3日間催し、提灯行列を行う。  
   
  昭和8年9月 博物教室ができる。  
   
  昭和9年5月 今沢慈海、校長となる。  
   
  昭和9年9月 学校新聞「成丘タイムス」を「成丘の光」と改める。  
   
  昭和10年1月 唐木順三、高等女学校に赴任する。  
   
  昭和10年4月 東京に同窓会寄宿舎谷心寮ができる(戦災で焼失)。  
   
  昭和10年12月 高等女学校自治会ができる。  
   
  昭和11年4月 中学校の生徒数352人、高等女学校の生徒数210人。  
   
  昭和12年10月 高等女学校、国民精神総動員運動の方針を決める。  
   
  昭和13年4月 高等女学校の校旗ができる。  
   
  昭和14年5月 木村荘太、嘱託となる。  
   
  昭和14年10月 興亜記念道路の勤労奉仕が始まる(高等女学校は11月から)。  
   
  昭和15年3月 唐木順三、高等女学校を退職する。  
   
  昭和15年4月 横田泰邦、校長となる。  
   
  昭和15年8月 木村荘太、退職する。  
   
  昭和17年4月 平野太一、高等女学校の校長事務取扱となる。  
   
  昭和17年6月 船越文教、高等女学校の校長となる。  
   
  昭和19年7月 高等女学校4年生、勤労報国隊として日立製作所柏分工場に行き、航空機用ガソリン調節器の製造にあたる。  
   
  昭和19年10月 高等女学校の在籍生徒数290人。  
   
  昭和20年 軍が校舎を使用したため、成田山新勝寺の客殿を仮校舎とする。  
   
  昭和21年8月 野球部、甲子園(この年は西宮球場)に初出場を果たす。  
   
  昭和21年11月 平野太一、再び高等女学校の校長事務取扱となる。  
   
  昭和22年2月 大友惟誠、高等女学校の校長となる。  
   
  昭和22年8月 野球部、甲子園に出場する。  
   
  昭和23年3月31日 学制改革に伴い、中学校、女学校を統合し、成田山文化事業財団を設置者とし、成田高等学校の設置認可を受ける。同時に中学校を併設する。  
   
  昭和23年8月 野球部、甲子園に出場する。  
   
  昭和23年10月 創立50周年記念式典を行う。  
   
  昭和24年3月31日 併設中学校を閉校する。  
   
  昭和26年1月19日 私立学校法により、学校法人成田山教育財団の設置認可を受ける。  
   
  昭和27年8月 野球部、甲子園に出場する。  
   
  昭和27年10月 校歌、校旗ができる。  
   
  昭和28年5月 秋山篤英校長をはじめ4人の職員が学制80周年記念教育功労賞者として表彰される。  
   
  昭和29年11月 川瀬信雄、校長となる。  
   
  昭和30年8月 野球部、甲子園に出場する。  
   
  昭和30年10月 女子部に家庭科教室ができる。  
   
  昭和31年12月 女子部に2階建て4教室ができる。  
   
  昭和32年4月 女子部の理科教室を普通教室に改装する。  
   
  昭和32年6月 雨天体操場を学校図書館に改装する。  
   
  昭和32年11月 青木健作の句碑が建つ。  
   
  昭和33年3月 講堂兼体育館ができる。  
   
  昭和33年6月 全国私立中学高等学校道徳教育研修会の会場となる。テニスコートができる。  
   
  昭和34年4月 同窓会館谷心寮が開館する。  
   
  昭和34年10月 旧講堂を理科教室に改装する。  
   
  昭和35年11月 野球場ができる。  
   
  昭和36年12月 成田山新勝寺、千葉トヨペット株式会社から自動車が寄贈される。  
   
  昭和37年7月 自動車部の練習場ができる。  
   
  昭和37年12月 校庭に仮設教室4棟を建てる。  
   
  昭和38年1月 男子部の校舎(旧制中学校校舎)を解体する。  
   
  昭和38年10月 男子部の校舎(現1号館)、男子部と女子部を結ぶトンネル(約50メートル)ができる。  
   
  昭和38年11月 男子部、女子部の名称をやめる。  
   
  昭和39年1月 3年3学期の家庭学習を始める。  
   
  昭和39年10月 男子体育館兼武道場ができる。東京オリンピック大会の聖火リレーに参加。全国学校図書館研究大会の会場となる。  
   
  昭和40年8月 プールができる。  
   
  昭和41年2月 成高道路ができる。  
   
  昭和41年10月 正門付近に卒業記念樹のカナリーヤシを植樹する。  
   
  昭和42年4月8日 付属中学校を開校する。  
   
  昭和42年5月 校地の拡張工事(造成面積5105平方メートル)が終わる。  
   
  昭和42年10月 弓道場ができる。  
   
  昭和43年10月 女子校舎(現3号館)、女子体育館(現付属中学校体育館)ができる。  
   
  昭和44年8月 高校総体弓道大会の会場となる。  
   
  昭和45年10月 成丘会館ができる。  
   
  昭和46年3月 中山義秀の文学碑が建つ。  
   
  昭和46年11月 志賀高原寮ができる。  
   
  昭和47年6月 音楽室を改修する。  
   
  昭和48年4月7日 付属小学校を開校する。  
   
  昭和48年8月 陸上競技部、高校総体で男子総合優勝する。  
   
  昭和48年10月 新しい学校図書館ができる。  
   
  昭和49年10月 軟式庭球部、茨城国体高校女子の部で優勝する。  
   
  昭和49年12月 志賀高原寮の増築ができる。  
   
  昭和50年4月 付属中学校、1学年2学級となる。  
   
  昭和50年8月 軟式庭球部、高校総体女子個人の部で優勝する。  
   
  昭和50年10月 軟式庭球部、三重国体高校女子の部で優勝する。  
   
  昭和51年8月 陸上競技部、高校総体で男子総合優勝。軟式庭球部、高校総体女子個人の部で優勝する。  
   
  昭和51年10月 付属小学校の新しい校舎ができる。  
   
  昭和52年8月 軟式庭球部、高校総体女子団体・個人の部で優勝する。  
   
  昭和52年10月 全天候型グラウンドができる。軟式庭球部、青森国体高校女子の部で優勝する。  
   
  昭和53年3月 1号館を改修する。  
   
  昭和54年4月 越川重、校長となる。  
   
  昭和55年6月 3号館の増築ができる。  
   
  昭和55年7月 野球の全校応援が始まる。  
   
  昭和55年9月 新しいテニスコートができる。  
   
  昭和56年3月 理科校舎(現2号館)、武道館ができる。  
   
  昭和56年11月 理科校舎の西側壁面に「ライジング・サン」の壁画ができる。  
   
  昭和57年3月 1号館の増築ができる。  
   
  昭和57年4月 全クラス男女共学となる。サッカーグラウンドができる。  
   
  昭和58年7月 全天候型グラウンドの全面改修が始まる。  
   
  昭和59年10月 チベット難民救済物資を送る。  
   
  昭和60年4月 付属中学校、1学年3学級となる。  
   
  昭和60年8月 軟式庭球部、高校総体女子団体の部で優勝する。  
   
  昭和61年7月 全国中学生通信弓道県大会の会場となる。  
   
  昭和61年8月 台風10号により3号館前の土手、野球場などの一部が崩壊する。  
   
  昭和62年12月 千葉県東方沖地震の発生により、全校生徒が校庭に避難する。  
   
  昭和63年10月 創立90周年記念式典を行う。  
   
  平成元年3月 創立90周年記念校史ができる。  
   
  平成2年4月 木村善保、校長となる。  
   
  平成2年5月 新しい全天候型グラウンド、新しい弓道場ができる。  
   
  平成2年8月 野球部が35年ぶりに甲子園出場を果たす。  
   
  平成3年1月 育心寮ができる。  
   
  平成4年3月 4号館、知心寮ができる。  
   
  平成4年4月 講堂兼体育館の取り壊しが始まる。付属小学校の自然観察園ができる  
   
  平成4年9月 機械警備が始まる。  
   
  平成5年3月 新しい講堂兼体育館、人口グラウンドができる。  
   
  平成5年6月 付属小学校の修学旅行が東海方面から北海道方面に変わる。  
   
  平成6年3月 付属小学校の特別校舎を改修する。  
   
  平成6年6月 鈴木三重吉の文学碑が建つ。  
   
  平成7年12月 事務室を改修する。  
   
  平成8年4月 藤田信義、校長となる。  
   
  平成8年8月 付属小学校の校舎を改修する。  
   
  平成9年3月 新しいプールハウスができる。  
   
  平成9年8月 陸上競技部、高校総体で男子総合優勝する。  
   
  平成10年4月 新入生から1学年高校8学級、中学4学級となる。  
   
  平成10年10月8日 創立100周年記念式典を挙行する。  
         
   
  平成18年3月 野球部がセンバツ初出場を果たす。  
   
  平成19年3月 野球部、2年連続センバツ出場する。  
   
  平成19年4月 大澤浩一、校長となる。  
   
      史料:学校図書館・史料室  
         
   
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